えっこの人も!? 高卒認定(旧大検)を取ったい著名人

学歴社会日本。一度失敗するとカバーが難しい面は確かにあるんですが、それでも高卒認定(大検)でカムバックした人はたくさんいるんです。

高卒認定って!?

出典:kounin.jp

以前は大検と呼ばれていた試験。
合格することで高校卒業時と同等の学力のある照明になり、進学・就職がプラスになります。

高卒認定試験は文部科学省が主催する公的試験(正式名称:高等学校卒業程度認定試験)で、同試験に合格することにより「高卒程度認定資格」を得るものです。
この高卒認定試験は高校と違い(全日制・定時制・通信制)就学期間(通常3年)というものが無く、短期間で資格取得をすることができます。
特に、試験機会が年2回になったことで1年以内で合格することができるようになりました。

出典:高卒認定試験(新大検)情報|高卒認定試験(高認)・大検はJ-Web School

高卒認定試験に合格をすると、高校卒業者と同じ扱いを受けられるようになります。
そのため希望するどの大学、短大、専門学校でも受験できるようになって、各種の国家試験なども高校卒業者と同じ扱いで受験できるようになり、さらに海外の大学への進学(留学)をすることも可能となります。

出典:高卒認定試験って何? 大検とどこが違うの?

高卒の方と高認合格者との間で採用時に差をつけているかどうかという、あるアンケート調査によると、年々高卒の方と高認合格者との間に「差をつけていない」とか「高卒者と同等に扱う」と回答する企業が増えてきています。
平成13年度にはわずか28%でしたが、平成22年度には44%近くの企業が「高卒者と同等」あるいは「差をつけていない」と回答しています。
このことからすると、高認に合格していると、高卒者と同程度の就職先が開かれやすいということになります。

出典:高認(旧大検)って何?高認のメリットが知りたい!

起業家や経営者や学者にも高卒認定出身者が!

家本賢太郎

株式会社クララオンライン 代表取締役社長。
中学時代に脳腫瘍が発見され進学が困難に。その後大検を取得。

家本 賢太郎(いえもと けんたろう 1981年12月2日 - )は、日本の経営者。株式会社クララオンライン 代表取締役社長。祖父は経済学者の家本秀太郎。

出典:家本賢太郎 - Wikipedia

愛知県名古屋市昭和区出身。小学6年生のときに原因不明の高熱に侵され、1996年 、滝中学校の中学2年在学中、脳腫瘍と判明し除去手術を受けるが後遺症で車椅子生活となる。入院中パソコンに親しんだことがきっかけでインターネットに夢中になり、やり取りする内にプログラミングに目覚める。1997年 、私立滝中学校卒業後、文部省大学入学資格検定(大検)合格し、5月に合資会社としてクララオンラインを起業。レンタルサーバ事業を始める。

出典:家本賢太郎 - Wikipedia

家入一真

GMOペパボの創業者で現在は株式会社XIMERA 代表取締役。
高校でいじめが原因で中退し、引きこもりになった後、大検を取得。

家入 一真(いえいり かずま、1978年12月28日 - )は、日本の実業家であり、株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ)創業者。

出典:家入一真 - Wikipedia

福岡県立玄界高等学校を高校1年時にいじめを原因に中退し3年間ひきこもりとなり、大学入学資格検定に合格し地元の美術大学にも合格するものの通わなかった。芸大美大受験の予備校である美術研究所画塾卒業。

出典:家入一真 - Wikipedia

内田樹

哲学研究者。
神戸女学院大学名誉教授で京都精華大学人文学部客員教授。
学生時代は決して素行の良い学生ではなかったようで、退学になった後に大検取得。

内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。
東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学位は修士(東京都立大学・1980年)。合気道七段、居合道三段、杖道三段。

出典:内田樹 - Wikipedia

1966年、東京都立日比谷高等学校に入学。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数ヶ月後に親に謝罪し家に戻った。
1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学教養学部文科III類に入学。1975年3月、同大学文学部仏文科を卒業。

出典:内田樹 - Wikipedia

廣松渉

哲学者。
高校中退後に大検を取得。
1994年5月22日、肺癌にて死去されるまでに何十冊も本を出版。

廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。

出典:廣松渉 - Wikipedia

福岡県立伝習館高等学校中退後、大検に合格して大学進学資格を得て、東京学芸大学に入学するも、中退して東京大学文学部哲学科に再入学をする。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めもあってカント研究に専念することになる。その後、東京大学大学院に進学。1965年に博士後期課程を単位取得退学している。

出典:廣松渉 - Wikipedia

前田庸

出典:www.kanto-ba.org

商法学者。
学習院大学名誉教授に東京証券取引所社外取締役など様々な肩書を持つ。
幼い頃は身体が弱かったせいで休学していたこともあり、大検を取得。

前田 庸(まえだ ひとし、1931年(昭和6年)11月8日 - 2013年(平成25年)11月1日)は、日本の商法学者。学習院大学名誉教授。東京証券取引所社外取締役。住友信託銀行監査役。社団法人商事法務研究会会長。日本銀行金融研究所国内顧問。手形小切手法の分野で独創的な二段階創造説を構築。日本の手形小切手法、商法・会社法の大家。父は元秋田銀行頭取の前田實。

出典:前田庸 - Wikipedia

小学校6年生のときに肺結核になった。それで1年間休学した。旧制中学でも2年の終わりから3年生にかけて休学したが,新制高校1年のときに学業は完全に中断して療養所に入った。
大検を取得して1954年(昭和29年)東京大学に入学。卒業後は金融業界に進みたかった。しかし,就職試験を受けた銀行からは「既往症の関係で健康に不安があるし年齢もいっているので」ということで断られてしまった。1958年(昭和33年)の卒業時に鈴木竹雄教授の研究室に入る。

出典:前田庸 - Wikipedia

柳川 範之

経済学者。
現在は東京大学大学院経済学研究科の教授に。
父親の転勤でブラジルにいたため日本の高校には通わずに独学で大検を受験。

柳川 範之(やながわ のりゆき、1963年 - )は、日本の経済学者(博士(経済学))。東京大学大学院経済学研究科教授、元RIETIファカルティフェロー(2006年3月まで)。専門は契約理論、法と経済学。

出典:柳川範之 - Wikipedia

小学校4年から中学1年まで銀行員であった父親の都合によりシンガポールの日本人学校で学ぶ。日本の公立中学校を卒業後、父親の転勤によりブラジルへ渡る。高校には通わず、日本から参考書や教科書を大量に買い込み独学で勉強をする。日本へ帰国後、大学入学資格検定(大検)を受験。後に父親の転勤により再びシンガポールへ渡り、慶應義塾大学経済学部通信教育課程を現地で受講し、学者になるという異色の経歴を持つ。

出典:柳川範之 - Wikipedia

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