細野晴臣の2人の偉大な祖父【タイタニック号生存者】

日本の音楽会に多大な影響を与えた細野晴臣。彼の家族について調べてみると、映画のようなドラマが見えてきました。2人の祖父のエピソードを紹介します。

細野晴臣

日本を代表するミュージシャン、細野晴臣

ローリング・ストーンズのビル・ワイマンや
ビートルズのポール・マッカートニーもファンだそう…!

細野 晴臣(ほその はるおみ、1947年7月9日 - )は、日本のミュージシャン。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授。2008年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

出典:細野晴臣 - Wikipedia

ソロ活動、楽曲提供、プロデュース業など、活動は多岐にわたりますが、
やはりこの2つのバンドのイメージが強いと想います。

はっぴいえんど

細野晴臣が69年に結成したはっぴいえんど

1969年から1972年まで活動

日本語で歌われている歌の世界は、独特な情緒や不思議な浮遊感、気怠さを伴った、はっぴいえんどオリジナルの日本語ロックを作り上げている

出典:「ごつごつした魅力」 はっぴいえんど/はっぴいえんど LIVE ON STAGE...

YMO(Yellow Magic Orchestra)

細野晴臣がリーダーを務めたYMO

打ち込みのビート、シンセサイザーの無機質なメロディに象徴される“テクノポップ”というジャンルの先駆けとなった

出典:日本が世界に誇るテクノユニット、YMOの歴史と魅力を再確認! - ニュース - KKBOX

細野晴臣は日本のテクノの父とも言うべき存在ですね。
一体どんな家系に生まれたのでしょうか?

祖父はタイタニックの唯一の日本人乗船者

明治の鉄道官僚だった細野正文

出典:pbs.twimg.com

明治の鉄道官僚だった細野正文

祖父・細野正文が日本人で唯一のタイタニック乗客でした。
これは有名かもしれません。

細野 正文(ほその まさぶみ、1870年11月8日(明治3年10月15日) - 1939年3月14日)は明治期の鉄道官僚である。日本人唯一のタイタニック号乗客として知られる。

出典:細野正文 - Wikipedia

沈没したタイタニック号から無事生還しました。

タイタニックから生還するも、厳しい非難

細野正文は他人を押しのけて救命ボートに?

タイタニック号には、人数分の救命ボートが備え付けられていいませんでした。

そんな中正文が「他人を押しのけて救命ボートに乗った」という証言があったそうです。

タイタニックには、緊急時に救命ボートに乗るのは、婦女子が優先というルールがあったそうです。

そのため、多くの人が犠牲になったのに、なぜおめおめと生き残って帰ってきたか、と思う人も少なくはなかったのではないでしょうか。かなり執拗に攻撃されたようです。

出典:第2回 戦後まで引き継がれた汚名

しかし正文は何ら反論することなく、1939年3月に68歳でこの世を去りました。

明治生まれの気骨でしょうか。あるいは、多少は生きて帰ったことを恥じる気持ちもあったのかもしれない。

祖父は、その中傷のせいか、生還後に鉄道院の役職を解かれています。忸怩たる思いがあったでしょうね。

出典:第2回 戦後まで引き継がれた汚名

孫・細野晴臣のコメント

その真相は?

遺品として出てきた正文の手記

出てきたのは事故から70年近くたった1981年のことでした。

沈没から救助されるまでの出来事がつづってあります。

その内容を読むと、祖父は決して卑劣な行動はとっていない。婦女子優先を守って、船と一緒に沈む覚悟でいたんです。

しかし、救命ボートに空きがあるというのを聞いて、ボートに向かって飛び降りた。警備の船員が持つ拳銃に打たれてもやむを得ないという決死の判断でした。

出典:第2回 戦後まで引き継がれた汚名

しかし、世間の誤解はなかなか解けなかったようです。

名誉挽回のきっかけは、映画『タイタニック』

細野正文の誤解を解くきっかけになった『タイタニック』

1997年公開

これをきっかけに、タイタニック沈没時の調査が再び行われました。

RMSタイタニック社の調査で、祖父が10号ボートに乗っていたことが判明しました。

 10号ボートの船員が、乗っていたのはアルメニア人が2人だと証言したために、祖父の存在が不確かだったのです。ところが、そのアルメニア人が後に回想録を出していることがわかって、日本人と一緒にボートを漕いだと書いていたんです。祖父はアルメニア人と間違われたのでしょう。

出典:第3回 引き揚げ遺品で汚名返上

一方、卑劣な日本人と記録した白人は別ボートに乗っており、同乗者には中国人がいたことが明らかになった。

出典:細野正文

その中国人を正文と勘違いしたんですね。

こうして細野家の汚名は返上されました。
壮絶なストーリーですね…!

ところが実は、母方である中谷家の祖父もすごい人なんです!

母方の祖父はピアノ調律師!

父・中谷孝男はピアノ調律師

日本のピアノ調律技術に大きく貢献しました。

日本楽器製造(現ヤマハ)のオルガン部門の研修生を振り出しに、共益商社のピアノ調律師として経験を重ね、広田米太郎、杵淵直都とともに現在の社団法人日本ピアノ調律師協会の前身である全国ピアノ技術者協会の創設に力を尽くした。 文筆の才に優れ、数多くのピアノ技術書を翻訳して刊行し、国立音楽大学の音響工学科講師として楽器学などの講義を持った。

出典:中谷孝男 - Wikipedia

終戦後の日本に音楽を届けた中谷孝男

終戦後、人々が音楽を求めるようになった頃、
中谷孝男の調律による、レオニード・クロイツァーの演奏会が行われました。

中谷孝男が調律を担当したレオニード・クロイツァー

ドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニスト、指揮者

今の細野晴臣があるのは孝男のおかげ?

昭和43年、細野晴臣はバンド活動に夢中になっていた。そんな時に細野晴臣は中谷孝男に調律師になりたいと相談した。中谷孝男にお前には向いてないと言われたと語った。中谷孝男は細野晴臣の適正を見抜いていた。

出典:[ファミリーヒストリー 【細野晴臣〜タイタニックの宿命 音楽家の原点〜】...

そして翌年、細野晴臣ははっぴいえんどを結成します。

日本を代表するミュージシャンのルーツには、もの凄いドラマが合ったんですね!

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