漫画家・長谷川町子の家族とサザエさんの名前の由来!独身3姉妹の信頼が生んだ物語!

「サザエさん」の作者の長谷川町子さん。サザエさんのような性格とは裏腹に生涯独身の長谷川町子は姉の毬子、妹の洋子、母の貞子の支えがあって国民的漫画「サザエさん」を生みました。「サザエさん」誕生秘話と長谷川町子の生い立ちを支えた家族のお話しです。

長谷川町子

長谷川町子

「サザエさん」「いじわるばあさん」の作者で知られる長谷川町子さん。

福岡に生まれ、戦後の苦しさと夢に闘った彼女の本当の姿とはどんなものだったのでしょう?

サザエさん

1946年4月22日 から1974年2月21日まで一時の休載や紙面変更もありながらも連載した新聞四コマ漫画「サザエさん」

長谷川町子の生い立ちと家族

長谷川町子の家族

長谷川町子は4人姉妹で姉の毬子、妹の洋子がおり、もう一人の姉は早くに亡くなっています。

佐賀県小城郡東多久村で生まれ、福岡で育った長谷川町子さん。

父は三菱炭鉱の社員でしたが、1934年に亡くなり、女家族となった長谷川町子一家は身内を頼り東京に移住します。

昭和2年、長谷川町子さんは当時7歳でした。

長谷川町子さんは、福岡で暮らす普通の、ちょっと元気な女の子でした。。

外で遊ぶのが大好きでしたが、家では紙を見れば手当たり次第に絵を描いていく

という女の子でした。

出典:長谷川町子物語 あらすじ サザエさん誕生秘話 - 長谷川町子物語 あらすじ 出演者...

「のらくろ」が好きだった長谷川町子少女

長谷川町子の母・貞子さん

出典:www.ncbank.co.jp

長谷川町子の母・貞子さん

「田川水泡の弟子になりたい」
漫画が好きな娘・長谷川町子の夢を思い、当時の人気作家のもとに弟子入りさせた長谷川町子の母・貞子。

「のらくろ」の作者・田川水泡と長谷川町子

ドラえもんのような存在だった漫画「のらくろ」の作者・田川水泡に弟子入りした長谷川町子さん。

しかも、当時まだ15歳でした。

戦争で福岡へ戻る長谷川町子の家族

第二次世界大戦が起こり、長谷川町子の家族全員疎開しました

地方でも漫画の仕事をしたい長谷川町子

戦中、スケッチをしていてスパイ行為と間違われたこともありました。

戦時下の昭和17年。作家は福岡に疎開。その後西日本新聞社の絵画部に入り、早く仕事が終わると菜園の仕事に精を出し大豊作に頭を抱えた。その後日本は終戦を向かえた。

出典:価格.com - 「サザエさん...

サザエさん誕生秘話~磯野家は妹との体験が生んだ~

長谷川町子の妹との海岸散歩から生まれたサザエさん

出典:hmpiano.net

長谷川町子の妹との海岸散歩から生まれたサザエさん

年の離れた妹、洋子さんは戦後ゆえにカラダが弱く、福岡の海岸沿いをぶらぶらするのが日課だったそうです。

戦後「夕刊フクニチ」の連載の依頼が来た長谷川町子

出典:www.ncbank.co.jp

戦後「夕刊フクニチ」の連載の依頼が来た長谷川町子

家族ものの四コマの依頼を受け、「サザエさん」を担当編集と考え出した長谷川町子さん。

「サザエさん」は妹と海岸を歩いたから磯野家になった

ももち海岸で「フネ」「サザエ」「カツオ」「ワカメ」と名前を付けていき、第一回ではこの四人のみ出演でした。

作家は海で礒の香りを嗅ぎながらサザエを見つけ、サザエさんの名前が決め、海をみながら両親やカツオ、ワカメの名前を決めた。本業の畑仕事をしながら夜に原稿を仕上げる日々を半年続けると、東京の出版社が仕事を頼みたいと依頼してきた。

出典:価格.com - 「サザエさん...

現在その場所は磯野広場と呼ばれています。

東京へ上京した長谷川町子の家族

作家は東京に再び上京。漫画の出版資金にと母は家を売った。その後世田谷に家を購入し落ち着いた。

出典:価格.com - 「サザエさん...

東京の桜新町に家を買った長谷川町子一家

東京に上京したくて、サザエさんを急に結婚させて連載を終了した長谷川町子

1946年の暮れに一家そろって上京するが、当時東京都への転入は食糧事情悪化のため厳しく禁止されており、夕刊フクニチの記者という名目で許された。

出典:長谷川町子 - Wikipedia

その後、再びサザエさんを再開させた長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

その後、再びサザエさんを再開させた長谷川町子

ただ、当時、適当に書いたマスオだったため顔を忘れたそうです。

上京後、再び夕刊フクニチからサザエさんの連載を依頼され、
このときから、サザエさん一家にマスオさんとタラちゃんが加わり、
現在我々が知る家族構成になったのであった。
適当なキャラクターだったマスオさんの顔を忘れてしまっていたため、
新聞社の綴じ込みで確認したなどというエピソードが載っていた。

出典:サザエさんうちあけ話

サザエさんが人気になったのは長谷川町子の家族のおかげ

妹と姉を信頼していた長谷川町子

妹にサザエさんの内容チェックをお願いしていた長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

妹にサザエさんの内容チェックをお願いしていた長谷川町子

姉・毬子と姉妹社を立ち上げた長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

姉・毬子と姉妹社を立ち上げた長谷川町子

1947年、戦争からわずか2年で社会的立場の弱い女性が会社を立ち上げるという前代未聞の行動に出た長谷川町子の家族。

姉、毬子は妹の才能を信じていたんですね。

清書は食卓でやってた長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

清書は食卓でやってた長谷川町子

娘の才能を信じた長谷川町子の母

サザエさんを単行本化しようとした長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

サザエさんを単行本化しようとした長谷川町子

人に勧められてこの「サザエさん」を自費出版に近い形で出版しますが、当時彼女らは本の取引のシステムを知らず、1巻目を大手の取次店が受け取ってくれたため気をよくして2巻目も作ります。ところがそこに1巻目の返本の山が押し寄せてきて、2巻目は扱わないと取次店から通告されてしまいました。

出典:長谷川町子(1920-1992)

全然売れないサザエさんに悩む長谷川町子

出典:pbs.twimg.com

全然売れないサザエさんに悩む長谷川町子

実は出版の際、漫画のサイズが標準と違い、本屋に置けなかったため返本されていたそうです。

すでに大手出版社はお断りされ意気消沈する長谷川町子

長谷川町子の母・貞子「借金すれば良い」

出典:hmpiano.net

長谷川町子の母・貞子「借金すれば良い」

娘の才能を信じた母だからこそ言える言葉。

こうして大ヒットしたサザエさん。自費出版なのでマージンがなく一気に借金もなくなりました。

サザエさんにかけた長谷川町子の信念

自分そっくりなキャラ・サザエさんを作り上げた長谷川町子

お転婆で我は強いけど、家族を大切にし、信頼する女性サザエさん。その姿は長谷川町子本人ですね。

サザエさんを描き続けた長谷川町子の信念

出典:pbs.twimg.com

サザエさんを描き続けた長谷川町子の信念

連載のストレスで何度も倒れながらもサザエさん一家を描いたのには理由があります。

私達家族は、町子の健康が心配で、何かにつけて、

「こんなしんどい仕事は、もうやめたら」

と頼むのが常だった。しかし、一度だけ町子が、

「でもね、いい作品ができたときの嬉しさや満足感は、あなた達の誰にもわからないと思うわ」

と言ったことがあり、その言葉の重さに私は以来、口をつぐむことに決めた。

出典:【読書感想】サザエさんの東京物語

長谷川町子作品に描かれたスリーエスのロゴ

出典:pbs.twimg.com

長谷川町子作品に描かれたスリーエスのロゴ

姉の毬子は戦争で夫を結婚1週間で亡くし、妹の洋子はガンで夫を亡くし、母も未亡人。独身の女性4人の家族がサザエさんを生みました。

姉妹SisterのSが3つ並んだ姉妹社のロゴはいつまでも、家族の支えがあって続いたサザエさんを象徴しています。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

オトナ女子にもっとハッピーな休日を

この記事を友達に教える

この記事に関するお問い合わせ

ランキング