2013年解散した「日光猿軍団」が遂に復活!その裏にあった2人の男気に泣ける・・・

2013年に東日本大震災に伴う原発事故が原因として解散を余儀なくされた「日光猿軍団」が、2015年4月に「日光さる軍団」として遂に復活しました!その復活に至るまでの2人の校長「間中」と「村崎」の決断がカッコよすぎました!

2013年、閉園を余儀なくされた「日光猿軍団」

閉園が決まり、往時の盛況を取り戻した「日光猿軍団」

原子力発電所の事故による風評被害で、一時客が激減したが、2013年8月に解散を宣言し、昔を懐かしむ家族連れが大挙してきました。

2013年12月31日「日光猿軍団」解散

12月21日から「お猿の学校 卒業式」を行い、間中校長が生徒の猿たちを卒業させました。その後往時を振り返る「最終公演」を行い12月31日に解散宣言をし施設も閉園しました。

0:54 「日光猿軍団」卒業式

「日光猿軍団」卒業式

こんな「卒業式」でした。

「日光猿軍団」解散の原因は【東日本大震災】だった!

調教師の激減・猿の高齢化

猿の調教師は中国・韓国の人が大半で、その内ほとんどが放射能汚染を危惧して帰国・離職してしまった...

こちらに解散までの詳細を載せておきます。
原発事故の二次被害がここまであるとは想像していませんでした。

しかし2015年「日光さる軍団」として復活!

あの猿軍団が帰ってきた!

『日光さる軍団』に名称を変更し、2015年4月29日より新装開店の形で復活しました!

新生『さる軍団』は「反省」でおなじみの太郎次郎一門に所属する猿たち

『さる軍団』復活に際して、村崎が間中の所有している旧猿軍団の施設を買収しました。

復活に伴い「日光猿軍団記念館」は閉園!

2015年3月20日に閉園しました。
またここで劇がみれると思うと嬉しいですね♪

新生「さる軍団」に大注目です!

まだ改修工事中の箇所もあり、スタッフ一同「反省」しているみたいですw

「日光猿軍団」校長も初代・間中敏雄氏から2代目・村崎太郎氏へ

「猿軍団」復活で校長も引継ぎ!

初代校長として長年「日光猿軍団」を率いてきた間中氏から、2代目校長の村崎氏に引き継がれました。

元々ライバル関係であった間中敏雄氏と村崎太郎氏

集団芸の「日光猿軍団」(間中氏)と個人芸の「太郎次郎」(村崎氏)は水と油の関係で、お猿芸2大巨頭の“合体”は厳しいとされてきましたが遂に実現!

閉園時に「このまま終わっちゃうのかのかなって思った」と消沈したという間中氏。しかし「太郎次郎」の猿回し師で、おさるランド代表取締役社長・村崎太郎氏(46)が復活を持ちかけ、「合体したら敵はないとも思ってね」と間中氏も合意。村崎氏に二代目校長として引き継ぐ形で実現した。

出典:『日光猿軍団』が復活! 念願かない初代校長“男泣き”

当初は決裂もあったが今は“相棒”として心を開ける関係になった二人。引き継ぎの際に間中氏は「悲しいのもあるけどうれしいと」と本音を漏らしつつも、トレードマークの赤いジャンパーを村崎氏に贈呈。間中氏が涙を浮かべると村崎氏も厳粛に受け止めた。

出典:『日光猿軍団』が復活! 念願かない初代校長“男泣き”

復活の裏に隠れた2人の校長の生き様がカッコよすぎる・・・

「日光猿軍団」はなるべくして復活したと考えがちだが、その裏には2人の校長の決断がありました!

こういうエピソードは人間の良さがあふれている気がしますね。嬉しくなります。

【金よりも猿芸を選んだ】間中敏雄氏の男気が凄い!

「日光猿軍団」復活の裏で壮絶なマネーゲームが行われていた!

森に囲まれ自然あふれる「日光猿軍団」跡地をめぐり激しいバトルが行われていました。

間中氏が振り返る。

「13年8月に『日光猿軍団』の閉園が発表された翌9月から、太郎君にオファーをいただいた。実はその他にも、老人ホーム運営会社さんなど3社から『日光猿軍団』の跡地を買収したいと話をいただいたんです。跡地は約1万坪」

 1万坪の面積は東京ドーム(約1万4000坪)に迫る。計4社の中でも特に老人ホーム運営会社からは超高額買収額が提示されたという。「日光猿軍団」がある日光市柄倉の坪単価は3万~4万円ほどとされ、単純計算で推定3億~4億円が提示されたと考えられる。

出典:「日光さる軍団」復活 カネより猿芸選んだ間中校長

老人ホームの運営会社に3~4億の金額を提示されていたであろう間中氏。

一方「太郎次郎」側は莫大なマネーゲームを横目に、猿芸の継承を訴え続けた。村崎氏は東京から栃木へ約50回通い、熱意にほだされた間中氏が今年1月、ついに了承した。村崎氏はこの日「(日光猿軍団を)買収させていただいた形」と説明し、その額は明かさなかったが、推定で8000万円ほどとみられる。

出典:「日光さる軍団」復活 カネより猿芸選んだ間中校長

単純に3~4億のオファーを受けていれば豊かな老後が過ごせたが、村崎氏の熱意と猿芸の継承のために「日光猿軍団」を選んだ間中氏。

「金」より「猿芸」を選んだ間中氏

自分の裕福な余生より、「日光猿軍団」の猿芸という伝統を守っていくことをとった間中氏の決断は中々できないことだと思います!

【うつ病を乗り越えて】復活にかける村崎太郎氏の熱意に泣ける...

次郎おさるランド」の経営失敗で多額の借金を負った村崎氏は、うつ病を発症してしまう・・・

「反省ポーズ」が社会現象となり、1996年には常設劇場「次郎おさるランド」をオープンしたが、資金繰りが上手くいかず閉園してしまう。

しかし、「日光猿軍団」閉園後に施設を継承しようと一念発起した村崎氏

なかなかうまくいかなかった交渉も、間中氏のもとに50回以上伺った村崎氏の熱意により成立。最後の最後まで「日光猿軍団」を継承しようという意気込みが村崎氏には消えずにあったんですね。

一度経営に失敗した村崎氏は、「この挑戦に敗れれば自分に未来はない」とまで語る

様々な思いから復活した「日光さる軍団」の成功を祈っています!

「日光猿軍団」解散から再び復活するまでに表舞台ではない裏で行われていた二人の決断には、今後の「日光さる軍団」にかけるカッコよさがありました。

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