伝説のバンド”BOOWY"のドラマー”高橋まこと”とは

 1980年代伝説のバンドと言われた”BOOWY”。その伝説の一員だったドラマー高橋まことに迫る。

8ビートで右に出る者はいない!高橋まことという男

日本屈指のロックドラマー

1954年福島に生まれた高橋まこと。BOOWYやDe+LAXなど様々なバンドやソロで活躍してきている。8BEATを叩くと右に出る者はいないという理由で「Mr.8BEAT」「ATOMIC DRUM」の異名を持つ。

一世を風靡した伝説のバンド「BOOWY」のドラマー高橋まこと

高橋まことの原点となった「BOOWY」とは?

1980年代に大活躍したバンド、それがBOOWYである。ボーカル氷室京介、ギター布袋寅泰、ベース松井恒松、そしてドラム高橋まことという4人組だった。楽曲はもちろん、斬新なビジュアルなどが人気で一躍日本のバンド界に名をとどろかせた。

代表作とも呼べる「PSYCHOPATH」

BOOWYの6作目のアルバム「PSYCHOPATH」。当時のロックバンドアルバムとしては異例のミリオンセラーとなった。

突然の解散!

BOOWYは人気の絶頂期であった1987年に突然解散を発表。翌年に行われた解散ライブのチケットは発売開始10分で完売するという社会現象にまで発展した。

いろいろと謎の多いBOOWYの突然の解散だが、最初にメンバー内で解散の話を切り出したのは布袋寅泰である。これは布袋本人も認めているし、実際に本当のことだろうと思われる。頂点を極めて、これからどうするかの話の中で
「このまま勢いに乗っていくことはできるが、逆にメンバーそれぞれに自分だけでやっていける道を見つけることも大切じゃないだろうか」
概ね、こんなニュアンスでの話だったようだ。

出典:グラフィックデザイン ホームページ制作 香川県 有限会社ヴォックス|坂本の部屋

BOOWYにおける高橋まこととは

氷室、布袋が刀の「刃」なら高橋、松井は「柄」

バンドマンに限らず、世のサラリーマン、学校の先生、お医者さん、タクシーの運転手、ウェイトレス…平凡かもしれないけど、皆それぞれに替えの利かない役割というものがあって、その役割を全うすれば誰だって輝くことができるということを伝えたかったんだよ。仮に自分に光が当たらなくたって、卑屈になる必要は全くないんだ。自分こそがその光の当たる土台を支えているんだと考えればいい。そのことに誇りを持てと俺は言いたいんだよ。

出典:高橋まこと('07年4月号) | web Rooftop

1987年になると、高橋を除く3人はそれぞれの道で忙しくなりBOOWYという家を空けることが増え、その間BOOWYを守る役割を高橋が行っていた。自分にできることはなにか、そう考えたときに浮かんだのが「刃」「柄」という例えだったという。

BOOWY解散後の高橋まこと

ロックバンド「De+LAX」へ加入

BOOWY解散後に加入したロックバンド。こちらでも活躍を続けたが1993年に解散。

その後もバンドに加入したり、様々な人物とコラボしたりと幅広く活動している

布袋さんとも共演

度々共演している。

高橋まこと、本も出しちゃいました

”あの”真相も語られている!?高橋まこと自叙伝『スネア』

2007年に刊行された『スネア』。高橋まことが自身についてはもちろん、BOOWY解散当時についても触れられており、人気の作品となっている。

高橋まことの福島への思い

福島出身の高橋まこと。2011年にふるさとを襲った東日本大震災。その復興支援として様々な形で復興に協力している。

CROSS OVER JAPANの結成

CROSSOVER JAPAN は、福島県出身のミュージシャン、高橋まことによって立ち上げられた福島復興支援団体です。

全国各地の方々に福島へ目を向けていただけるように、音楽イベントをはじめ、様々なイベントを展開しています。また、イベント会場で募金を募り、様々な形で、福島の子供達に笑顔を届けることも活動目的としています。

出典:CROSS OVER JAPAN とは - CROSS OVER JAPAN...

がんばっぺ!福島

CROSS OVER JAPANの前身として高橋まことが立ち上げた「がんばっぺ!福島」。3年間で500万円の義援金を集めたプロジェクト。高橋の思いは着実に復興に繋げられている。

友の力も借りて。高橋はこれからもふるさとを支え続ける

自らだけでなく、様々な人を巻き込みながら復興へのエネルギーを高める高橋まこと。福島の人々にとって大きな力となっていることだろう。

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