立川談志と 松本人志の関係とは?

笑いに関して厳しい意見を放っていた故人立川談志さん。立川談志さんと 松本人志の関係を調べてみました

立川談志

立川談志、落語家。

7代目(自称5代目)の死後は空き名跡となっている

立川 談志笑いに対する考え

笑点初代司会者を務めた立川談志

出演期間:1966年5月15日 - 1969年11月2日 。
出演回:第1回 - 第170回。

1966年5月15日の放送開始から1969年11月2日まで日本テレビの演芸番組『笑点』の司会を務めているが、後年「『笑点』ってのはよう、アタシが作った傑作なんだよ」と語っている通り、『笑点』は談志が自ら企画して実現したものである。

出典:立川談志 - Wikipedia

『笑点』の企画自体の思い入れがあるためか、2001年 - 2003年頃には、特冊新鮮組(で「大笑点」という投稿コーナーを企画し、2005年10月開始の『談志の遺言』には、「おれとお前の笑点」という投稿コーナーを設けていた(2006年3月の一時終了まで存在した。

出典:立川談志 - Wikipedia

立川談志理論

何に対しても辛口で有名だった立川談志

「才能」に関して
「お笑いに才能は絶対、必要だ」というのが談志の持論だった。 もともと大阪勢の芸風と肌が合わず、上述の通り吉本興業に対しては辛辣な面があったが、『M-1グランプリ』(朝日放送系列)の第2回大会の審査員も務めている。彼の採点の仕方ははっきりしており、80点、70点、50点の三段階でしか点をつけなかった。

出典:立川談志 - Wikipedia

「なんでだろ~」は2003年の流行語になった。更に新語・流行語大賞にも選ばれた。
 2002年には第2回M-1グランプリの決勝に進出する。しかし、審査員であった松本人志や立川談志らに酷評される。テツトモのお笑いのスタイルが漫才とは言い難かった、というところに焦点が集まった。

出典:テツandトモ

審査員の立川談志がテツandトモに対し「お前らはこんなところに出るべきではない」と発言し、スタジオの空気が凍った。しかしその真相は、「お前ら(の芸は立ってる=もう完成されているから)、こんな(コンクールのような)ところに出るべきではない」という裏返しの言葉であった、という後日談がある。

出典:M-1グランプリとは (エムワングランプリとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

立川談志が認めた男

アンジャッシュ、おぎやはぎ、テツandトモ、ダウンタウンの松本人志、爆笑問題の太田光、のお笑いを評価している。特に、松本人志、太田光に対しては「天才」と大絶賛している。

出典:立川談志

ダウンタウン
当初は、たくさんいるつまらない若手芸人の一組としての認識しかなかったが、後年初めて『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』を見て「これはまさしく漫才の間だ」「見損なっていた」と評価した。のちに松本プロデュースのビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』が発売された際、テレビ朝日の『HITOSI MATUMOTO VISUALOVE』という特番でコメントを寄せたりもしている

出典:立川談志 - Wikipedia

HITOSI MATUMOTO VISUALBUM(ヒトシ・マツモト・ヴィジュアルバム)はお笑い芸人松本人志が企画・構成した映像作品。 1998年から1999年にかけVHSで3作制作された。2003年にはDVD化され、3作に未公開映像や出演者のインタビューを収めた特典ディスクを加えたBOXセット「完成」もリリースされた。

出典:HITOSI MATUMOTO VISUALBUM - Wikipedia

あの立川談志に認められるという事は凄いことです。故人立川談志の意志を引き継ぐ落語家が現れるのでしょうか?松本人志さんの今後にも注目です。

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