怪我に泣かされ続けた男・田淵幸一 怪我と闘った野球人生と成績のまとめ

強打の捕手として約15年球界に君臨した田淵幸一。華々しい活躍の裏では怪我に何度も見舞われていた。怪我をしたシーズンにスポットを当てて彼の成績も紹介していく。

田淵幸一

怪我に悩まされ続けた現役時代

現役時代に怪我で苦しんだ田淵幸一

田淵の怪我を負わずに済んだシーズンはほとんどなかった。これだけの怪我と闘いながら抜群の成績を残した田淵は偉大と言えよう。

プロ2年目での流血を伴う大怪我

田淵幸一、プロ2年目の大怪我

プロ2年目の田淵を襲った悲劇。広島戦において、投手のコントロールが乱れた球が田淵の左側頭部を直撃した。田淵はバットを持ったまま昏倒したそうだ。

本屋敷錦吾コーチが見たものは、左耳からおびただしい血を流し、ビクリとも動かない巨体だった。顔面蒼白の田淵を見て広島・久保祥次捕手、谷村友一球審は顔を見合わせ、急いで担架を用意するよう大声で叫んだ。騒然とする甲子園、というより驚いた観客は波を打ったように静まり返った。

 「ブチ、大丈夫か?おい、ブチ!」本屋敷コーチの呼びかけにも応じない田淵はそのまま病院に担ぎ込まれた。診断の結果は左側頭葉の脳挫傷、左耳鼓膜一部損傷などで全治3カ月。幸い完治すれば選手生命に支障はないというものだった。

出典:【8月26日】1970年(昭45)...

1970年シーズンは、21本塁打40打点で、打率.244だった。怪我がありながら21本塁打はすごい。しかし、この怪我で左耳が難聴になったそうだ。

1971年は病気に

田淵幸一、1971年は急性腎臓炎

大怪我からの復帰を目指した1971年は、開幕2週間前に急性腎臓炎になり、復帰が6月にずれ込んでしまった。結果的に18本塁打45打点の成績に終わる。

1974年は怪我を負いながらも抜群の成績を残す

怪我を負いながらも覚醒した田淵幸一

1972、73年も打撲や腰痛に苦しめられながらも2年連続30本塁打以上を達成した田淵。1974年は左手関節挫傷や右肘関節挫傷などの怪我に苦しむも、45本塁打95打点という球界を代表するパワーヒッターとなった。

1975年は王の記録を止める本塁打王に

本塁打王に輝いた田淵幸一

1975年も右足挫傷の怪我を負ったが、43本塁打で本塁打王に輝き、王の連続本塁打王の記録を止めた。そして、初の全試合出場を果たす。翌年も打撲があったが、全試合に出場することができた。

1977年は骨折と左肘痛で全試合出場ならず

毎年怪我に苦しむ田淵幸一

やっと全試合出場ができるようになった田淵だったが、1977年は左肘痛と右手親指骨折、翌年も腰痛に見舞われて全試合の出場は叶わなかった。しかし、成績はそれほど悪くはなく、1977年は23本塁打59打点、1978年は38本塁打89打点だった。

西武移籍後も怪我に振り回される

西武移籍後も毎年怪我を負う田淵幸一

1979年からは西武の選手として活躍をした田淵。成績は残しながらも、西武の7年間では一度も全試合出場が実現できなかった。アキレス腱痛、打撲、骨折と万全な状態で試合に臨めることはほとんどなかった。

1980年に43本塁打97打点、1983年に30本塁打71打点という好成績を残したが、怪我だらけだった。怪我がなければ、天才打者と言われる田淵はどれほどの成績を残せただろうか?

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