【大ちゃんフィーバー】甲子園の季節になると思い出す早稲田実業・荒木大輔選手の軌跡まとめ

早稲田実業高校時代に「大ちゃんフィーバー」で一世を風靡した荒木大輔選手の活躍をまとめてみました。池田高校との試合動画も。そして「荒木トンネル」って?

野球・荒木大輔さん

荒木大輔選手

高校野球の歴史の中で「荒木大輔」という名前は大きい。
西東京の名門・早稲田実業高校時代に投手として5季連続で甲子園に出場した荒木大輔さん。
その後ヤクルトスワローズに入団し、1996年まで現役として活躍した。

高校に入る前から凄かった荒木大輔さん

リトルリーグで世界一になった荒木大輔さん

リトルリーグの名門・調布リトルに在籍していた荒木大輔さんは、1976年に全日本・極東大会・世界大会で見事に優勝。特に世界大会準決勝ではノーヒットノーランを達成した。

二宮: 荒木さんはお兄さんも早実で甲子園に出場しています。野球を始めたのは、その影響でしょうか。
荒木: 最初に野球をやりたいと思ったきっかけは一番上の兄ですね。リトルリーグでメンバーに選ばれて台湾に遠征したんです。野球で飛行機に乗って海外に行けるなんてうらやましいと思いました。

出典:SPORTS COMMUNICATIONS -...

お兄さんが二人いて、その二人も日本一になったとか。

高校時代の荒木大輔選手の活躍

早稲田実業のエースだった荒木大輔さん

「荒木大輔」といえば甲子園。
1年生で内野手控えだった荒木大輔さんは、エースの故障により投手として活躍。甲子園でいきなりの準優勝を決めると、以降5季連続で甲子園に躍り出た。

岩倉、帝京、二松学舎を立て続けに撃破し、甲子園の切符を手に入れる。それでも「ほとんど相手にされないようなチーム」だったという。
「開会式なんて、宿舎から歩いて行きましたからね。横浜(神奈川)の周囲に人が集まって、誰も僕らのことは注目していなかった。それが北陽戦が終わったら……」
1回戦で大阪・北陽高に6対0の完封勝利。突如現れた背番号11の1年生の快投に、世間の注目は一気に集まった。いわゆる、〝大ちゃんフィーバー〟の幕開けだ。

出典:荒木大輔「あの夏」特別インタビュー:朝日新聞デジタル

あの松坂大輔さんも…?

新生児の命名ランキングでも堂々の一位を獲得してしまった「大輔」。後に同じくらい甲子園でフィーバーを巻き起こす松坂大輔選手も「大ちゃんフィーバー」で命名されたとか。

池田高校との試合

池田高校に14点を取られた最後の夏

迎えた最後の夏、破竹の勢いだった徳島県立池田高校を止めることが出来ず、荒木大輔さんは準々決勝で甲子園を去る。

17:51 1982年早実夏の甲子園ハイライト(その4)準々決勝 池田高校戦

1982年早実夏の甲子園ハイライト(その4)準々決勝 池田高校戦

この年「やまびこ打線」として有名になった池田高校は優勝を果たした。

「もう、このみんなと同じユニフォームを着て、一緒に野球をすることはできないんだなと思いましたね。それがものすごく寂しかった。でもその一方で、やっと終わってくれたんだ……という思いもありました」――。

出典:荒木大輔「あの夏」特別インタビュー:朝日新聞デジタル

3:00 あの夏の、僕ら 荒木大輔

あの夏の、僕ら 荒木大輔

プロでも止まらなかった「大ちゃんフィーバー」

ヤクルトスワローズに入団

高校卒業後にドラフト1位でヤクルトスワローズに入団した荒木大輔さん。その現役時代・コーチ時代のほとんどをヤクルトスワローズで過ごすことになる。

「荒木トンネル」

高校時代の「大ちゃんフィーバー」はプロに入っても続き、女性ファンの押しかけが酷かったせいで、クラブハウスと球場を結ぶ「荒木トンネル」が作られたほどだった。

神宮球場での練習には女学生が押しかけ、選手たちはろくろくトイレにも行けないほどだった。そんな選手たちの苦情を聞き入れた球団は、混乱回避のために球場と選手サロンとの間にトンネルを建設。このとき作られた地下通路は通称「荒木トンネル」と呼ばれ、現在も当時のままに残されている。

出典:人生で必要なことはすべてプロ野球が教えてくれた

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