田宮二郎 鬱病による苦悩と衝撃の死

1960年代に主演を務めた「白い巨塔」が代表作にあり、「クイズタイムショック」の司会などでも人気を集めた田宮二郎。華々しさとは裏腹に、多くの葛藤に苦しめられた人生だった。人生の終幕も衝撃的なものだった…。

田宮二郎(柴田吾郎)

田宮二郎(1935~1978)

俳優や司会業で人気を博し、数多くの作品に出演していた田宮二郎。端正なルックスと高い演技力でスターへの階段を昇っていたが、私生活ではトラブル続きだった。

白い巨塔

田宮は「白い巨塔」の映画版とテレビドラマ版の双方に出演しており、彼にとっての代表作の一つになっている。この作品には並外れた情熱を注いでいた。

クイズタイムショック

クイズタイムショックの初代司会者となった田宮二郎。明るく軽妙で親しみやすいトークと理知的な司会進行が好評で、出場者への気配りも欠かさなかったそうだ。こういった司会業が、後述の追放からカムバックするきっかけとなった。

最初のつまづき、映画界からの追放

1960年代後半に映画界から追放された田宮二郎

田宮が出演した映画「不信のとき」の宣伝ポスターにおける序列をめぐって、撮影所長や大映側とトラブルになった。序列トップでもおかしくなかったはずが、4番手扱いだったそうだ。

結果的に刷り直したポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、雅一は田宮を一方的に解雇。ただでさえスター不足で経営難の大映はますます屋台骨が傾くことになった。記者会見では記者から「田宮を辞めさせて興行的に困らないか」との声が社長に飛んだ。しかし永田は「失礼な、それほどの大物じゃない」と反論、さらに五社協定を持ち出し、他社の映画にもテレビドラマにも田宮を使わないように通達した。

出典:田宮二郎 - Wikipedia

1977年に躁鬱病と診断される

躁鬱病と診断された田宮二郎

追放から見事にカムバックして見せたものの、事業の失敗や出演作品の不入りで多額の借金を抱え、しまいには精神を病んでしまった田宮。1977年3月に医師から躁鬱病と診断された。これとは別に、薄毛にも悩んでいたそうだ。

「白い巨塔」撮影の裏で、ボロボロになっていく

「白い巨塔」撮影の裏で躁鬱病に苦しめられた田宮二郎

高まる事業熱とドラマへの関心の希薄化の中、「白い巨塔」の撮影が始まった。この頃は田宮の奇怪な行動でドラマの撮影が何度も危機に陥ったらしい。突然ウラン採掘のためトンガに行ったり、不遜な態度で共演者の不安を煽ったりと大変だったそうだ。撮影終了後は虚脱状態になってしまう。

衝撃の死

猟銃自殺を遂げた田宮二郎

1978年、田宮は自室にて猟銃自殺を遂げた。43歳だった。あまりにも突然かつ衝撃的な死に方だったため、大きな話題となった。

残された遺書は妻・息子達・二児の家庭教師・2人の弁護士・田宮企画顧問・奈良岡朋子・鬼沢慶一宛の8通あったとされている。そのうち妻へ宛てた遺書には、感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ、病気で倒れたと思って諦めて欲しい、と書かれていた。この田宮の自殺は、足の指で猟銃用の散弾銃の引金を操作して胸を撃ち抜いたその方法もあいまって、非常に大きな衝撃をもって報道された。

出典:『飛行機内で急病出たとき、田宮二郎が「私が財前医師だ」という躁鬱の激しさより、猟銃自...

次男も40代で死去

次男の田宮五郎も40代で死去

次男の田宮五郎も40代で死去

田宮二郎の次男である田宮五郎は父と同じ俳優として活動していたが、2014年11月6日に47歳の若さで亡くなった。

次男の田宮五郎も40代で死去

出典:www.pakutaso.com

次男の田宮五郎も40代で死去

田宮二郎の次男である田宮五郎は父と同じ俳優として活動していたが、2014年11月6日に47歳の若さで亡くなった

 田宮さんは12年4月12日に都内の自宅でくも膜下出血で倒れた。翌13日に8時間に及ぶ手術を受け、一時は昏睡(こんすい)状態に陥ったが、リハビリができるまでに回復。同7月にリハビリ専門病院に転院、同12月に退院していた。
 数週間前に田宮さんに会った知人によると、「仕事をしたい」と話し、復帰への意欲を見せていた。以前のように滑らかに言葉が出なかったものの、順調に回復していた様子だったという。

出典:田宮五郎さん死去 故田宮二郎さん次男、浅野ゆう子と交際も47歳で…...

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