困難を乗り越えてきたフジファブリック!メンバーと経歴まとめ

数々の困難を乗り越えてきたロックバンド・フジファブリック。魅力あふれるメンバーと、結成から再始動までその経歴をまとめました。

フジファブリック

フジファブリック

2000年に高校時代の仲間と結成。メンバー変更を続け、ライブなどで徐々に若者の人気を集めて行ったバンドです。

いくつもの困難を乗り越えてきたフジファブリック

壮絶な過去を持つフジファブリックの経歴と、協力して頑張り続けたメンバーをご紹介します。

フジファブリックのメンバー紹介

山内総一郎

ボーカル・ギター担当。2010年からの一時期にくるり、斉藤和義のサポートメンバーも務めていました。

金澤ダイスケ

キーボード・コーラス担当。2010年から2011年にかけて行われたASIAN KUNG-FU GENERATIONのツアーではサポートメンバーも務め、同バンドのボーカルである後藤正文さんから高い評価を受けています。

加藤慎一

ベース・コーラス担当。かつてつるの剛士のバンド、太陽の衝動に参加していました。作詞・作曲を担当することが多いそう。

志村正彦

ボーカル・ギターを担当。2009年に急逝するまで、フジファブリックの要といえる存在でした。

フジファブリックの経歴まとめ

フジファブリック結成

2000年に志村正彦が高校時代のバンドメンバーとフジファブリックを結成

当時のメンバーは渡辺隆之さん、渡辺平蔵さん、小俣梓司さん。

2003年から2004年にかけて現在のメンバーである3人が加入

金澤ダイスケさん、加藤慎一さんが2003年に、山内総一郎さんが2004年に加入しました。

2004年に1stシングル「桜の季節」でメジャーデビュー

プレ・デビューアルバム「アラモルト」で実質上のメジャーデビューを果たしていますが、正式なメジャーデビュー曲となったのはこちらの「桜の季節」です。

フジファブリック解散の危機

2009年12月24日志村正彦死去

死は翌日公式サイトにて発表されましたが、突然のことに受け入れられないファンばかりでした。

そしてファンの頭の中に浮かんだのは「解散」の二文字。

志村正彦の死後、山内総一郎が歌うことを決意

志村正彦さんの悲願であった富士急ハイランドでのライブを控えていたフジファブリック。

志村雅彦さんの死を受け止めきれないながらも、山内総一郎さんは歌うことを決意しました。

マイクの前に立った時は、自分の心臓の音が聞こえました。『会いに』を歌うのは、タイムテーブルのラストだったから「これを歌えばライブは終わる!」って腹を括っていたはずなのに、結構な人数の前だったんで、圧を感じて。魂が細くなる感じを覚えました。でも、とにかくやり切ろうと。

出典:「俺が歌う」と言ったんです フジファブリック 山内総一郎インタビュー |...

フジファブリック再始動

2011年にフジファブリック再始動することを発表

フジファブリックデビュー7周年記念日に行われた、「フジファブリックpresentsフジフジ富士Q 完全上映會」の本編終了後、フジファブリックは3人で活動を続けていくことを発表しました。

2009年12月24日にボーカル&ギターの志村正彦さんが急逝したバンド「フジファブリック」が、3人体制で活動を続けることを改めて発表しました。

出典:フジファブリック“3人で再始動”を改めて宣言 新作のリリースも

2014年には初の単独武道館ライブも達成

志村正彦さんがいた時代と比べられながらも努力してきた3人の成果が認められたということですね。

志村が生きていた頃には叶わなかった日本武道館の単独公演が決定したのです。これは、山内ボーカルのフジファブリックが認められたという証明でもありました。

出典:志村正彦の死...フジファブリックの歴史が波乱万丈すぎた - エンタメメディア...

数々の困難を乗り越えてきたフジファブリック

これからも頑張っていってください!

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