熊谷一弥に佐藤次郎、96年ぶりの快挙を挙げた錦織圭以上にすごかった戦前の日本テニス界の偉人

錦織圭すごいと思い、96年前ってなんだ?と思って調べてみたら、戦前の日本テニス界が強すぎたので、まとめてみました。あの「ハンサムな彼女」で有名な熊谷一弥などがいます。

96年ぶりに記録に並んだ錦織圭

全米オープンテニス第10日は3日(日本時間4日)、ニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで行われ、男子シングルス準々決勝は第10シードの錦織圭(24=日清食品)が、全豪覇者で第3シードのスタニスラス・ワウリンカ(29=スイス)を3―6、7―5、7―6、6―7、6―4で下し、日本選手として1918年の熊谷一弥以来96年ぶりの4強入りを果たした。

出典:錦織 日本選手96年ぶり4強!全豪覇者ワウリンカをフルセット撃破 —...

4:58 錦織 圭 4強 マスターズ・パリ準々決勝ハイライト 2014-11- 01

錦織 圭 4強 マスターズ・パリ準々決勝ハイライト 2014-11- 01

96年前に全米ベスト4に進出していた男、熊谷 一弥はとてつもなくすごい偉業を成し遂げていた!!

錦織圭が並んだ、全米ベスト4の記録を持つ熊谷 一弥

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錦織圭が並んだ、全米ベスト4の記録を持つ熊谷 一弥

1918年(大正7年)の全米選手権において、日本人テニス選手として史上初のベスト4に進出を果たす。

「ハンサムな彼女」でも有名なあの人です!

プレーをする熊谷 一弥

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プレーをする熊谷 一弥

大学は慶應義塾で、現在の東京三菱UFJ銀行(当時の三菱合資会社銀行部)に勤務をする傍ら、テニスの国際大会で実績を積み上げていった秀才。

1920年(大正9年)のアントワープ五輪において、
男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得。
これは、日本スポーツ界に初めてのオリンピックメダルをもたらすこととなった。

実は、元祖「赤土の王者」?

「赤土の王者」ラファエル ナダル

「現在の」というべきか、クレー(土)コートで圧倒的な強さを誇るナダル。

しかし、ナダルよりも前に赤土のコートで脅威的な連勝記録を達成していた人物がいた?

土のコートで圧倒的な強さをほこった熊谷 一弥

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土のコートで圧倒的な強さをほこった熊谷 一弥

アメリカ遠征の際に、「在米3ヶ月間で約60人とシングルスを戦い、土のコートでは1セットも失わなかったが、芝のコートでは勝手が違い4人に負けた。またサーブが強いのに閉口した」とコメント。
これが本当ならば、すごい選手ですね。

土のコートで圧倒的な強さをほこった熊谷 一弥

アメリカ遠征の際に、「在米3ヶ月間で約60人とシングルスを戦い、土のコートでは1セットも失わなかったが、芝のコートでは勝手が違い4人に負けた。またサーブが強いのに閉口した」とコメント。
これが本当ならば、すごい選手ですね。

意外と共通点が多い?ナダルと熊谷 一弥

左利きで、土のコートが得意。
なにかあるのでしょうか?

熊谷 一弥と日本テニス界の黎明期を築いた男たち

世界ランク4位にまで上り詰めた清水善造

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世界ランク4位にまで上り詰めた清水善造

1920年(大正9年)6月のウィンブルドンでベスト4、
1922年の全米オープンではベスト8まで勝ち進んだ。
現役はわずか4年と短いが、日本テニス界に確かな功績を残した。

戦後は後身の育成に注力をした清水善造

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戦後は後身の育成に注力をした清水善造

日本代表監督など、日本テニス界の黎明期を支えました。

錦織圭が記録を塗り替えていますが、戦前の彼らの偉大な記録も素晴らしいものですね。

シングルス最高順位は、世界ランキング3位の佐藤次郎

世界ランキング3位まで上り詰めた佐藤次郎

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世界ランキング3位まで上り詰めた佐藤次郎

全豪オープン:ベスト4(1932)
全仏オープン:ベスト4(1931・33)
ウィンブルドン:ベスト4(1932・33)
全米オープン:ベスト8(1932・33) 

またダブルスでは、1932年ウィンブルドンで準優勝を果たしている。

しかし、優勝することなく、自らこの世を去ってしまう

日本人最高選手ではあるが、成績に満足をしなかった佐藤次郎

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日本人最高選手ではあるが、成績に満足をしなかった佐藤次郎

なんとヨーロッパ遠征の帰国中にマラッカ海峡にて、自殺をしてしまった。
このニュースに世界中が驚きに包まれた。

オーストラリアのテニス・ジャーナリスト、ブルース・マシューズは自著『ゲーム・セット・栄冠-オーストラリア・テニス選手権の歴史』(全豪オープンの歴史書)の20ページで、「当時の観客は(佐藤の試合を通して)生死をかけた闘いを見ていることに気づかなかった。(今となっては)探り得ない佐藤の心は(5度の準決勝敗退を)天皇と日本国民を失望させる、耐え難い屈辱とみなした」と述べている。

出典:佐藤次郎 - Wikipedia

自殺しなかったら、4大大会で優勝していたであろう人物です。

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