【天才】落語家・立川談志の伝説的生涯

五代目立川談志。自ら落語立川流を創設し「家元」と名乗った天才は、人生そのものが破天荒であった。なんと政界にも進出していた!?「やかん」「芝浜」の動画も。

落語家・立川談志

立川談志

落語家・五代目立川談志。
落語立川流家元。元・参議院議員。元・沖縄開発庁政務次官。
とてつもない影響力と破壊力を持ったカリスマである。

23:17 やかん 立川談志

やかん 立川談志

とりあえず話は「談志落語」を聞いてから。

落語のスタイル

立川談志の「まくら」がとにかく長い

高座では話の本編の前に軽く「まくら」を振るのが一般的だが、そのまくらが全く軽くないのが立川談志だった。
次々と湧いて出てくる世間の話題を膨大な知識に裏付けられた独特の視線から切っていき、まくらが50分を超えることもあった。ほかの落語家とは明らかに一線を画していた。

立川談志の芸は超正統派

破天荒な話ばかりが目立つ立川談志だが、その芸を見ると現代では数少ない名手の一人であった。
この芸に惚れ込む観客や弟子たちは後を絶たなかった。

一風変わった談志落語

新作落語というよりは古典を演じたが、その内容は独自の解釈を加えたものが多かった。よって伝統的なものとはストーリーからオチまで全く違うことも多々あったが、それも魅力である。

立川談志の伝説

笑点

笑点を作ったのは立川談志だった

三遊亭円楽で有名な伝説的番組「笑点」だが、企画し初代司会者を務めたのは立川談志だった。
しかしみんな亡くなってしまったな…。

政界へ

立川談志、なんと参議院議員に

高座やテレビで有名になっていった立川談志は、なんと1971年の参議院選挙に出馬して初当選を果たす。

立川談志、そのまま沖縄開発庁政務次官に

1975年末、本名・松岡克由として沖縄開発庁政務次官に任命される。
しかしこの写真、すごい人そろっているな。

立川談志、まさかの1ヶ月で辞任

酒に酔って会見に出席し暴言を吐くという、実に立川談志らしい振る舞いに出た結果、就任1ヶ月で沖縄開発庁政務次官を辞任し、自民党も離党することになった。

落語会分裂騒動

落語立川流を創設

1983年、真打昇進制度をめぐって対立し落語協会を脱退し、落語立川流を創設して自ら「家元」を名乗る。
このとき会長だったのは師匠である五代目・柳家小さんであった。

爆笑問題・太田光

立川談志と太田光には親交があった

もちろん弟子としてとったわけではなかったが、立川談志は爆笑問題の太田光に芸の高い才能を見出していた。太田の方も立川談志を「天才」と尊敬していた。

談志が死んだ

立川談志「人生75年」

2011年11月21日、五代目立川談志は咽頭癌でこの世を去った。落語界の鬼才は最後は声を出すことなく死んでいった。

最後に

63:59 立川談志 Danshi Tatekawa 芝浜 落語 Rakugo

立川談志 Danshi Tatekawa 芝浜 落語 Rakugo

立川談志の真骨頂を。

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