【早稲田大学】創設者・大隈重信 【エピソード】集

早稲田大学創設者にして元総理大臣という日本の大物として君臨した大隈重信。彼が歩んだ激動の人生の中から傑作エピソードを紹介する。

大隈重信(1838~1922)

大隈重信

幕末から明治、大正と近代日本の発展に政治家として大きく貢献した大隈重信。早稲田大学の創設者でもある彼の意外なエピソードを紹介していく。

1.死ぬまで文字を書かず

文字を書かなかった大隈重信

大隈ほどの大物が全然字を書かなかったという逸話が残っている。しかも、意識的に。その理由は、学友に字の上手さで敵わなかったから。「書かなければ負けることはない」と意固地になり、それ以降は勉強を暗記で、本を出版する際も口述筆記で行った。彼の自筆は二点しか残されていない。

2.お金を表す指の発案者

お金のハンドサイン、考えたのは大隈重信

大隈がお金を表すハンドサインを発案した理由は、通貨を説明するときにお金は円だったから。いたって単純な理由だ。

3.日本初のメロン栽培者

初のメロン栽培者・大隈重信

大のメロン好きで知られた大隈。あまりにも好きだったので外国から持ち帰り、日本で初めて栽培したそうだ。

4.人生125歳説提唱

大隈重信、人生125歳説提唱

大隈は人生125歳説というものを提唱した人物だ。人間は25年を5回生きる能力を有するという説だ。彼は83歳で死去したが、創立した早稲田では125が特別な数字として扱われている。

5.慶應義塾創立者の福澤諭吉と仲良しだった!?

福澤諭吉と仲が良かった大隈重信

現在も早稲田と慶應はライバル関係という構図だが、各大学の創設者だった大隈と福澤はとても仲がよかったらしい。最初は雑誌上で論戦を繰り広げていた両者だったが、酒の席で初めて会い意気投合。以後は互いの自宅を行き来するほどの仲となった。

6.あくびをしない

あくびをしなかった大隈重信

大隈はあくびをしたことがない。生前はそう噂されていた。この真相は、「他人の面前であくびをすることは失礼」という自身の考えからきていたらしい。つまり意識的に人前ではしないようにしていたということだ。

7.初の始球式経験者

日本で初めて始球式を行った大隈重信

1908年に創設7年目の早稲田大学野球部の試合で始球式を務めた大隈。これは日本人初の出来事だった。

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