天才音楽家ショパン~ドラマチックな人生と名曲~

音楽愛好家でなくても、ショパンの名前を一度は耳にしたことがあるはずです。曲の名前を知らなくても、実際にメロディーを聞いてみると「あ!聞いたことがある!」という曲が多いのではないでしょうか? そんな彼の名曲は、彼のドラマチックな人生と深く関わっているのです。今回は、ショパンの名曲を曲が作られた背景と一緒に紹介したいと思います。

フレデリック・ショパン(1810-1849)

”ピアノの詩人”と称される天才作曲家

作曲した楽曲のほとんどがピアノ楽曲であることはとても有名。後世の人から”ピアノの詩人”という評価をされています。

早熟の天才

1810年にポーランドで生まれたショパン。当時のポーランドは音楽の辺境の地でしたが、幼少期に母親からその音楽的才能を見出されていたショパンは、子供の頃から英才教育を受けます。8歳の頃に最初の公開演奏会を開き、14歳の時にはポーランドを代表するピアニストになったショパンは幼少期より、作曲に強い関心を持ちます。15歳の頃には、1つ目の作品である「ロンド・ハ短調が」作られます。

8:28 Chopin Rondo in C minor Op.1

Chopin Rondo in C minor Op.1

妹の死

そんな彼は、16歳の頃に妹のエミリアを肺結核で失っています。幼少期より体の弱かったショパンは自分の人生もそんなに長くは続かないだろうことを悟ります。

妹の死は彼の人生に深い影をもたらすと同時に、その時に芽生えた絶望の感情が彼の曲に味を与えて、彼の名を世界的に有名にするきっかけとなったのかもしれません。

2つ年下の妹エミリア

出典:www.piano.or.jp

2つ年下の妹エミリア

エミリアとは特に中の良かったショパン

開花する才能

16歳から20歳まで通ったワルシャワ音楽院でも作曲活動は行われます、その後さらなる音楽性の広がりを求めて移り住んだ新天地ウィーンで彼は大成功を収めます。

23歳のショパン

出典:www.zd.ztv.ne.jp

23歳のショパン

1833年、ショパンが23歳の頃に発表されたのが12の「練習曲」その中でも有名なのが、「別れの曲」です。CMなどでもよく取り上げられる有名な一曲です。

4:56 別れの曲 ショパン

別れの曲 ショパン

愛国心を曲に

ウィーンで音楽家として大成した彼でしたが、彼は故郷ポーランドへの強い思いも同時に抱いていたのでした。

ポーランドの11月蜂起

出典:ja.wikipedia.org

ポーランドの11月蜂起

彼がウィーンにいた当時、祖国ポーランドではロシアの圧政に対する蜂起が起きていました。ショパンも祖国に帰り一緒に戦うことを熱望しましたが、音楽家としての将来を案ずる親族の説得でウィーンにとどまりました。

そこで、彼は作曲で祖国のために戦うことを誓います。戦地に赴く兵士を鼓舞し、ロシアの圧政を批判する曲を多く作りましたその1つが「英雄ポロネーズ(ポロネーズ第6番変イ長調 作品53)」です。戦いの曲だけあり、とても勇ましい曲に仕上がっています。

6:26 Chopin Polonaise No.6 op.53 Cyprien Katsaris

Chopin Polonaise No.6 op.53 Cyprien Katsaris

ポロネーズとはフランス語で「ポーランド風の」という意味があります。この他にも、ショパンはポーランドの民俗舞踊の様々な曲調を自身の楽曲に取り入れています。マズルカ、ワルツ、エコセーズなど様々な舞曲を生み出しました。

1:43 Chopin Walz Valse op64 1 変ニ長調 子犬のワルツ

Chopin Walz Valse op64 1 変ニ長調 子犬のワルツ

ジョルジュ・サンドとのスキャンダラスな恋愛

ショパンは長い人生の中で多くの女性と恋人になりますが、そのほとんどが不幸な形で幕を閉じてしまうのです。初恋のグラドコフスカへの片思いは実らず、結婚を誓い合ったマリア・ヴォジンスカからは婚約を破棄されます。そんな彼が、おそらく最後に心を通わした女性がフランスの女流作家ジョルジュ・サンドです

ショパンとのスキャンダラスな恋に走った作家、ジョルジュ・サンド

出典:www.aritearu.com

ショパンとのスキャンダラスな恋に走った作家、ジョルジュ・サンド

1830年台の社交界の寵児出会ったショパンと、当時様々な男性との交際が噂されていたサンドの恋はとてもスキャンダルなものでした。しかし、彼が病気になり貧しい暮らしを余儀なくされると、サンドとともにパリのノアンで共同生活を行います。彼らの周りには画家のドラクロワを始めとして、詩人や彫刻家等多くの芸術家たちが集まってきます。この頃から、彼が死ぬ直前の1840年台は彼の音楽の円熟期とも言えます。その代表的な曲が「雨だれ」です。

5:32 フジ子・ヘミング~雨だれのプレリュード

フジ子・ヘミング~雨だれのプレリュード

早すぎる死

サンドとの恋愛も最後は破局で終わります。晩年の彼は健康状態がすぐれない状態にあったものの、生活のためにピアノの教師や演奏旅行を行っていました。そんな彼も1849年の10月に39歳という若さでこの世を去ります。

晩年の彼の曲である「舟歌」や「幻想ポロネーズ」では、人生に対する絶望や憤りといった激しい感情がメロディーに込められていますが、その一方で死を前にした安らぎのような感情も伝わってきます。

13:33 Nobuyuki Tsujii 辻井伸行 - Chopin Polonaise-Fantaisie Op. 61 ショパン 幻想ポロネーズ 作品61

Nobuyuki Tsujii 辻井伸行 - Chopin Polonaise-Fantaisie Op. 61 ショパン 幻想ポロネーズ 作品61

ショパンのお墓は現在、パリ東部のペール・ラシェーズ墓地にあります。

出典:blogs.c.yimg.jp

ショパンのお墓は現在、パリ東部のペール・ラシェーズ墓地にあります。

旅行で訪れる機会があれば足を運んで、花を手向けましょう。

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