【聖の青春】難病と闘った将棋棋士・村山聖。羽生善治と並び称された天才の短すぎる人生【映画化】

かつて将棋界で、「東の羽生・西の村山」と羽生善治と並び称された天才がいました。それが村山聖です。難病ネフローゼを患い、病に苛まれ続けた人生は、わずか29年、志半ばで終わってしまいました。

2016.02.25
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東の羽生、西の村山

村山聖(むらやま・さとし)

1969年6月15日-1998年8月8日
広島県出身
将棋棋士
段位:九段(追増)

東の羽生、西の村山

関東所属の羽生さんと関西所属の村山さん。2人は同世代であり、将来を嘱望される才能ある若手として注目されていました。

名棋士揃いの「羽生世代」

羽生さんと同世代の棋士は若くして将棋界を席巻し、現在も大活躍しています。

森内俊之

小学生の頃から羽生さんのライバル。
現在も凌ぎを削る、終生のライバルです。

佐藤康光

独創的で型破りな戦術で変幻自在な将棋を指し、「変態」の異名を取っています。

藤井猛

将棋界に革命を起こした「藤井システム」の生みの親。
序盤の戦術家として多くの棋士の尊敬を集めています。

村山さんも羽生世代の一人であり、彼らのように大活躍をするはずでした。

幼くして難病を抱える

ネフローゼの症状

5歳の時、腎臓の難病であるネフローゼに罹っていることがわかりました。小学生時代のほとんどが入院生活だったそうです。

ネフローゼで顔が身体がむくんでいる村山聖

病気のことを知らなければただ太っているだけに見えますが、病気による症状の一つなのです。

将棋との出会い

入院中に父から教わった将棋

村山少年はすぐに将棋の魅力に取り憑かれ、身体に悪いからと何度も注意を受けましたが、朝から晩まで将棋を指していました。

プロの道を志す

史上最年少で名人位を獲得した谷川浩司

1983年、当時21歳であった谷川浩司が名人のタイトルを獲得しました。

自分の人生が長くないことを悟っていた村山さんは、谷川さんの活躍に触発され、プロ棋士になることを決意します。

師匠との出会い

森信雄

難病を抱えながらプロを目指すという村山さんを弟子として迎えました。

村山の体調が悪いとき、森はお使いにも出かけた。村山が少女漫画をたくさん求めると、どこで売っているかさえわからなかった森が、あちこちの書店へ奔走した。「どちらが師匠かわからない」ということで知られる逸話である。

出典:村山聖 - Wikipedia

村山さんは少女漫画が好きなんですね。
師弟愛がよくわかるエピソードです。

名人位目前、A級昇格

A級に昇格し、八段にまで上り詰めた村山聖

村山さんの人生の目標である名人位は、順位戦を勝ち上がらなければ挑戦できません。
村山さんは名人挑戦者を決めるA級リーグの戦いにまで到達し、名人位を射程距離に入れました。

早く将棋をやめたい。名人になって、将棋をやめたい

出典:聖の青春

村山さんが生前に何度もつぶやいていたという言葉です。

将棋の順位戦の仕組み

C級2組からA級、その上に名人がいるという形になっています。

志半ば......29歳でこの世を去る

村山聖の遺影を持つことになった師匠・森信雄

1998年、A級に在籍しながらにして、村山聖さんはこの世を去りました。

最後の大勝負

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