ヤンキースのレジェンド!松井秀喜の年俸推移がすごい!!

彼を超える4番バッターを、日本人で見たことがないです。それくらい、日本でもメジャーでもすごかった!

すのーぴー
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松井秀喜

巨人、ヤンキースで長年活躍

巨人時代は、これぞ4番というバッターであり、ヤンキースに渡ってからは中距離ヒッター。
成績や人となりについては語るまでもないくらい素晴らしい選手です。

甲子園での5打席連続敬遠

彼を語る上で外せない話の一つが、甲子園の明徳義塾戦での5打席連続敬遠。
高校当時から、彼の凄さが際立っていたエピソードの一つです。

ドラフト1位で巨人に入団。契約金は1億2000万円

高卒ルーキに1億円超えの契約金

いまでは、1億円超えも、そこまで高くはない金額のようになってきていますが、当時でみたらすごい高い額ですよね。高卒の新人選手に対して。

プロ1年目から11本塁打を放つ

セ・リーグ高卒ルーキー新記録となる11本塁打を放つ。
オフの契約更改では720万円から1060万円増の1900万円でサイン。
しかし、目標の2000万円には届かず、会見では渋い表情を見せていた。

入団4年目で1億円プレーヤーに

高卒選手ではイチローと並ぶ史上最短(当時)の入団4年目で1億円プレーヤーの仲間入りとなった。

巨人の不動の4番打者に

2000年には、シーズン全試合4番で出場。これは、巨人では1950年の川上哲治以来50年ぶりの記録。

日本球界初?の超大型契約の準備もなされていた!!

02年にFA権を取得する松井に球団は8年総額60億円の大型複数年契約を提示。事実上の終身雇用の提案だったが「ありがたいお話だったが、1年1年が勝負という気持ちで勝負したい」(松井)と、巨人の引き留め工作を受け入れなかった。

出典:【12月25日】2000年(平12)...

8年60億円なんて数字が日本でみれることがあったとは・・・

2002年、過去最高成績を記録し、FAでヤンキースへ

首位打者こそ、終盤の失速で福留選手にとられるも、本塁打王、打点王等のタイトルを獲得。
実績十分でメジャーへと挑戦を決断。

<巨人時代の年俸推移>
1993年 1年目(19歳) 巨人 720万円
1994年 2年目(20歳) 巨人 1900万円
1995年 3年目(21歳) 巨人 6200万円
1996年 4年目(22歳) 巨人 8000万円
1997年 5年目(23歳) 巨人 1億6000万円
1998年 6年目(24歳) 巨人 2億2000万円
1999年 7年目(25歳) 巨人 2億8000万円
2000年 8年目(26歳) 巨人 3億5000万円
2001年 9年目(27歳) 巨人 5億0000万円
2002年 10年目(28歳) 巨人 6億1000万円

プロ野球在最終年は6億1000万円もの年俸

この数字は、横浜ベイスターズに在籍をした佐々木選手(大魔神)以外には破られていません。

3年2100万ドルでヤンキースと契約!

メジャーの名門ヤンキースへと移籍をした松井秀喜

初めは3年総額約21億円で契約。後に、4年約52億円で契約を延長します。

苦しみながらも、毎年一定の成績を残す

06,08年は怪我によって出場機会も減っていたが、それ以外では一定の成績(2ケタ本塁打と100駄点以上)を残している。

<ヤンキース時代の年俸推移>
2003年 11年目(29歳) ヤンキース 7億0000万円
2004年 12年目(30歳) ヤンキース 7億0000万円
2005年 13年目(31歳) ヤンキース 7億0000万円
2006年 14年目(32歳) ヤンキース 13億0000万円
2007年 15年目(33歳) ヤンキース 13億0000万円
2008年 16年目(34歳) ヤンキース 13億0000万円
2009年 17年目(35歳) ヤンキース 13億0000万円

そして、ワールドシリーズMVPへ!

2009/10/29 松井秀喜 ワールドシリーズ 第2戦 決勝ホームラン

2009/10/31 松井秀喜 ワールドシリーズ 第3戦 代打ホームラン

MLB2009 松井秀喜 ワールドシリーズ 第6戦 2

移籍後もチーム、ファンからの支持が高い

この年以来、ヤンキースがワールドチャンピオンになっていないということもあって、松井秀喜さんの活躍は強烈に記憶に残っているのでしょうね。

その後、引退まで3球団を渡り歩く

エンゼルスでの年俸は6億円

守備機会を与えられるために、エンゼルスへと移籍をしました。

最終球団のレイズでは9000万円

「命がけでプレーし、メジャーで力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが結果が出なくなった」と述べ、日本球界復帰を選択しなかったことについては「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかった」と説明した。

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