妊娠した妻と大晦日のアルバイト!?武田鉄矢と海援隊、波乱万丈来歴まとめ

ボーカルの武田鉄矢さんが主演したドラマ「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」で有名な海援隊。 彼らの来歴、実は波乱万丈なものだったんです! まとめちゃいました!

米コメ
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武田鉄矢と海援隊

武田鉄矢と海援隊

今では知らぬ人はいないであろう歌手にして俳優の武田鉄矢さん。
彼がデビューした時のグループが「海援隊」なのは有名ですが、その活動には知られざる波乱万丈があったのです。

アマチュアで結成、ネーミングは武田鉄矢が

海援隊

武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人組(プロデビュー時)のフォークグループ。
坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢が命名したとか。

もともとはエレクトリックの5人編成で、照和(武田も店員であった著名な大物ミュージシャン・芸能人を数々輩出していることで現在でも伝説的に語り継がれているライブ喫茶)に出演しブルーズロック/ハードロックを演奏していた。

出典:海援隊 (フォークグループ) - Wikipedia

吉田拓郎に触発され、泉谷しげるに誘われて上京

伝説のライブ喫茶「照和」での出会い

学生時代ライブ喫茶「照和」で働いていた武田鉄矢さん、そこでチューリップの財津一郎さんや、甲斐バンド、井上陽水などと出会います。
財津一郎とはひそかなライバル関係だったとか…?

(大学)3年の秋くらいに、「広島の吉田(拓朗)っていう商科大学のヤツが東京へ行った」っていうのを風の便りで聞いたんですよ。「うわぁー行くヤツはいるんだなぁ」って。そんな話を今で言うとチューリップの財津さんとか甲斐バンドの甲斐君とかと話したのは覚えてるんですよ。俺たちと同世代のヤツで「ギター持って東京行くヤツが、出た!」って。僕らは、東京へ何故行かなかったかって言うと、失敗者が多かったんですね。東京へ行ってダメんなった人で、井上陽水さんて人は「ホリプロに入って(笑)、借金背負って帰ってきた」って。

出典:( 3 ) 武田鉄矢上京物語: 吉田拓郎ファンのblog

デビュー前からの親交には現在では名だたる大物アーティストの名前がちらほらしてますね

泉谷しげるのライブ前座を海援隊が務めることになって、ライブ終了後に、メンバーが泉谷さんに挨拶に行ったそうなんです。その時泉谷しげるが、海援隊のメンバーに、レコードを出したければエレックレコードにおいで、と誘ったそうです」
「後に、泉谷しげる本人に確認したところ、彼は社交辞令のつもりで海援隊に誘いの声を掛けたそうなんですね。それなのに、泉谷の言葉を真に受けた海援隊がいきなり上京して来たのでスタッフも困り果てたんですが、最終的には契約を結んだそうです」

出典:食卓ON楽

デビューしてからも続く親交

「海援隊が行く」でデビュー

1972年にアルバム『海援隊がゆく』でエレックレコードからデビュー。
収録曲「風は春風」では泉谷しげるが乱入している他、「ほととぎす」は井上陽水が曲を提供したとか。

「母に捧げるバラード」でヒット、紅白出場も

2枚目のアルバム『望郷篇』(1973年)発売後に収録曲「母に捧げるバラード」の評判がよく、1973年末にシングルカットしてヒットした。1974年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に「母に捧げるバラード」で出場した。

出典:海援隊 (フォークグループ) - Wikipedia

海援隊 母に捧げるバラード

紅白出演からどん底へ

紅白出場の翌年は皿洗い…?

母に捧げるバラードを紅白歌合戦で歌った翌年、1975年の大晦日、武田鉄矢さんは妻と居酒屋で皿洗いをしていたといいます。


武田 紅白を出た次の年にまったく仕事が無くなってさぁ、給料4カ月間無いんだ。「いやぁ、こりゃダメだな」と思って事務所を辞めようと決心して、次の事務所に行くまでの間、食いつなぐ為に女房と二人でスナックでバイトやったんだよ、皿洗いの。原宿の鉄板焼き屋さんだったけど、4千円貰えるんで。夕方から深夜の1時2時まで皿を洗っているだけで。女房妊娠してんのよ。不安だった。妊娠7か月6カ月の女房と仕事が1本もない俺なのよ。で、みそかの鐘を聞いて、4千円もらって原宿のバイト先から恵比寿まで歩いて帰ったの。

出典:武田鉄矢が語る【皿洗いのバイト帰りに妊娠7か月の女房と笑いながら登った貧乏坂】 |...

「あんたが大将」で再ヒット

海援隊 あんたが大将 (1977)

バンドとしての存続危機に追い込まれていった海援隊でしたが、彼らは歌を歌うことを諦めず、地道に活動を続けていきます。そして1977年1月にリリースした、8枚目のシングルが、彼らを再浮上させるキッカケとなります。
1977年1月に海援隊がリリースした8枚目のシングル「あんたが大将」は、「母に捧げるバラード」以来、およそ4年ぶりにセールスチャートにランクインし、最高位40位を記録します。

出典:食卓ON楽

「あんたが大将」ヒットの同年に武田鉄矢が俳優デビュー

「幸福の黄色いハンカチ」予告編

この映画で役者として抜擢されるまで、ほとんど無名の歌手でしかなかった武田に、何故山田洋次からオファーがあったのかは、武田自身も未だにはっきりとは判らないと言う。「売れてない歌手をからかいにでも来たのか」と思ったとのこと。DVD映像特典の監督インタビューによれば、登場させる若者の男女のうち、都会出身の女性は桃井かおりにすんなり決まったものの、これと対置する地方出身の男のキャスティングが難航していた時に、プロデューサーが山田に紹介したことから決まったという。

出典:幸福の黄色いハンカチ - Wikipedia

俳優としては全くの素人だった武田鉄矢さん。映画監督の山田洋次監督の指導の下で役者としての才能が現れ始めます。そしてついにはその年の日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を獲得するまでになったんです。

歌手と俳優、二足の草鞋が実を結ぶ「3年B組金八先生」

3年B組金八先生

俳優としてだんだんと知られてきた武田鉄矢さんがついに主演男優として実を結んだ作品です。

主役を務めることになった武田鉄矢さん、番組制作スタッフに海援隊で主題歌を歌わせてもらえないかと持ち掛けます。
スタッフサイドから了承され、武田鉄矢が歌詞を書き千葉和臣がメロディを作った「贈る言葉」がリリース。
セールスチャート最高位1位、発売から約9ヵ月もチャートにランクインし続け、100万枚の売上を記録するヒット曲となりました。

3年B組金八先生 第1シリーズ主題歌『贈る言葉』

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