記憶に残るミスタープロ野球長嶋茂雄。

ミスタープロ野球長嶋茂雄。野球界に燦然と輝く彼の偉業もさることながら、独特な言動から数多くのファンを持つ。記録よりも記憶に残る名プレイヤーとしての足跡を振り返る。

長嶋茂雄のすべての伝説は4打席4三振からはじまった

衝撃のデビュー戦

スーパースター長嶋茂雄のデビュー戦は、金田正一投手と対戦。4打席4三振。気持ちいいほどの豪快なスイングにファンの心を一日にしてつかんだ。この日から記憶に残る名プレイヤーのプロ野球人生がはじまった。

幻のホームラン

全力プレーの長嶋茂雄。つい1塁ベースを踏み忘れてしまい、ホームランは幻に。この年長嶋は、打率3割5厘、盗塁37、ホームランを29本放っている。もし幻の1本がなければ大記録「3割30本30盗塁のトリプル3」をルーキー年に達成していたことになる。こんなエピソードも彼が記憶に残るプレイヤーと呼ばれる理由のひとつ。

天覧試合で焼き付けた長嶋茂雄の記憶

天覧試合

天覧試合でのサヨナラホームラン。記憶に残る男長嶋茂雄の代名詞とも言えるエピソード。

人気を博したON砲

長嶋茂雄と王貞治は、ON砲と呼ばれ人気を博した。天覧試合でのアベックホームランがその第一号。

記憶だけでなく記録にも残る大打者「長嶋茂雄」

敬遠への抗議

記憶に残る名選手として知られる長嶋茂雄。相手チームからの執拗な敬遠に抗議するため長嶋は、バットを持たずに打席に立った。それだけ長嶋の打棒は脅威だったのだ。記憶に残るとともに数多くの記録も残っている。

ミスタープロ野球の引退

引退セレモニーで飛び出した「名言」

出典:fan.npb.or.jp

引退セレモニーで飛び出した「名言」

長嶋茂雄が現役のプロ野球選手を引退。名言「巨人軍は永久に不滅です」ととに長嶋はグラウンドを去った。

引退後、長嶋茂雄は、監督して巨人に戻ってきたが、球団創設以来初めてとなる最下位に終わる。しかし翌年にはリーグ優勝を果たす。

1992年10月、長嶋茂雄は第二次監督時代を迎えた。この年のドラフトで当時、星稜高等学校の松井秀喜のクジを引き当てた。松井秀喜との師弟関係がはじまった瞬間でもある。長嶋と松井はのちに国民栄誉賞をふたりそろって受賞する。

監督としての長嶋茂雄

日本シリーズでONが激突

出典:mainichi.jp

日本シリーズでONが激突

2000年、長嶋茂雄は自身の現役時代につけていた背番号「3」を身につけ、往年の野球ファンの記憶に長嶋茂雄を蘇らせた。この年、長嶋はリーグ優勝を果たす。迎えた日本シリーズでは、王貞治と対決し勝利。見事に日本一の座についた。

2001年、監督業を勇退。監督として1982試合を指揮。1034勝889敗59分勝率.538の成績を残した。現役時代とかわらず、監督としても記録よりも記憶に残る名監督と言える。

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